お金を使うことへの罪悪感はこうしてなくす
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とても小さな生活費でつつましく暮らしている方がよくこんな風にいいます。
「お金なんかなくても幸せだ」と。
そんなことを聞くと「お金を使う人」は「醜い心の持ち主」のような気がしてしまいませんか?
お金に執着することは恥ずかしい、卑しい人間のすることだとどこかで思ってしまうと、お金を使うことに罪悪感さえ感じるようになってしまいます。
実は私も長い間「お金を使う罪悪感」にさいなまれてきたひとりです。
でも、そんな私ですが、今は「お金を使う罪悪感」はありません。
私は両親が共働きで忙しかったので、同居していた大正生まれの祖母と過ごすことが多い子供でした。
大正生まれの祖母は、「関東大震災」「第二次世界大戦」を経験し、さらに「夫を亡くし、シングルマザーで3人の子供を育てた」人です。
「贅沢は敵だ」と教えられ、昔はお給料も男性より女性の方が少なかったため、どれだけ働いてもわずかな給料しかもらえず、家賃が払えないため住み込みで働きながら母親ひとりで3人の子供を育て上げるということがどれだけ大変だったか、ということをよく祖母は私に話してくれました。
「贅沢は敵だ」という風潮の頃に、若かりし頃を過ごしてきた祖母のお金に対する価値観は本当に質素で、祖母はよくこんなことを言っていました。
「金は天下の回りもの。お金はたくさんの人の欲の中を流れてきたものだから汚れている。だから子供はお金なんか触るもんじゃない。もし触ってしまった時はキレイに手を洗いなさい」と。
そんな祖母に育てられたこともあり、私もお金を使うことは「悪いこと」という価値観が小さい頃からありました。
私は今でも祖母を尊敬していますが、でも、ケチな節約術を卒業し「お金を使うこと」の大切さを知った時、気が付いたことがあります。
私が知らず知らず「お金を使うことに罪悪感」を持ってしまった理由は以下のようなものです。
私の場合は、このような気持ちにひとつひとつ折り合いをつけていきました。
私の場合は、お金は汚いものだと小さい頃から教えられていたこともあり、「お金を使いたい」「欲しいものがある」と口にするのは、いつの頃から悪いことだと思っていました。
反対に「欲しいものはない。お金なんていらない」と言うことが良いことだと思っていました。
私の場合はまずその考えを改めました。
お金が人生の全てではありませんが、「お金なんて」とお金を卑下して考える必要もないと思うようにしました。
お金は使うことで「経済が回る」のですから、お金を使うことは悪いことではないと考えるようにしました。
私の場合は、「自分なんかにお金を使うのはもったいない」という考えがありました。
自分なんかにお金を使うより、家族のためや友達のためにお金を使った方がよいと考えることが良いことだと思っていました。
でも、そんな風に考えてしまうと、自分に価値がないと考えてしまうのと同じです。
自分にも家族にも友達にも同じくらい価値があると考えることで、自分にお金を使うことは悪いことではないと考えられるようになりました。
私の場合は、「お金を使うと貯金がなくなる」という不安から「お金を使う罪悪感」を持ってしまうこともありました。
「貯金もできていないのにまたお金を使ってしまった…」という後悔があったのですね。
しかし、まずきちんと「貯金ができる仕組みを整える」ことで「これだけは使っても問題ないお金」と「使えるお金の限度額」が分かるようになりました。
私は、お金はどのような「経験」と「感動」を得るかを「自由に選択するための道具」だと思っています。
「お金を使わない生活を送らないと幸せは得られない」わけでないし、「お金を使いたいと思うことは悪」ではないと今は考えられるようになりました。
お金を使いたい、と思う自分がいやしいわけではありません。
お金を使いたい、と思わない人がえらいわけではありません。
ここを誤解してしまうと、昔の私のようにお金を使うことにものすごい罪悪感を感じてしまうので注意してくださいね。
「お金なんかなくても幸せだ」と。
そんなことを聞くと「お金を使う人」は「醜い心の持ち主」のような気がしてしまいませんか?
お金に執着することは恥ずかしい、卑しい人間のすることだとどこかで思ってしまうと、お金を使うことに罪悪感さえ感じるようになってしまいます。
実は私も長い間「お金を使う罪悪感」にさいなまれてきたひとりです。
でも、そんな私ですが、今は「お金を使う罪悪感」はありません。
私がお金を使うことに罪悪感を持つようになった理由
私は両親が共働きで忙しかったので、同居していた大正生まれの祖母と過ごすことが多い子供でした。
大正生まれの祖母は、「関東大震災」「第二次世界大戦」を経験し、さらに「夫を亡くし、シングルマザーで3人の子供を育てた」人です。
「贅沢は敵だ」と教えられ、昔はお給料も男性より女性の方が少なかったため、どれだけ働いてもわずかな給料しかもらえず、家賃が払えないため住み込みで働きながら母親ひとりで3人の子供を育て上げるということがどれだけ大変だったか、ということをよく祖母は私に話してくれました。
「贅沢は敵だ」という風潮の頃に、若かりし頃を過ごしてきた祖母のお金に対する価値観は本当に質素で、祖母はよくこんなことを言っていました。
「金は天下の回りもの。お金はたくさんの人の欲の中を流れてきたものだから汚れている。だから子供はお金なんか触るもんじゃない。もし触ってしまった時はキレイに手を洗いなさい」と。
そんな祖母に育てられたこともあり、私もお金を使うことは「悪いこと」という価値観が小さい頃からありました。
私は今でも祖母を尊敬していますが、でも、ケチな節約術を卒業し「お金を使うこと」の大切さを知った時、気が付いたことがあります。
お金を使うことに罪悪感を持つ理由
私が知らず知らず「お金を使うことに罪悪感」を持ってしまった理由は以下のようなものです。
- お金を使いたいと思うのは卑しいことと思っていた
- 自分なんかという思いがあった
- お金を使うとお金がなくなることに焦りがあった
私の場合は、このような気持ちにひとつひとつ折り合いをつけていきました。
1.お金を使いたいと思うのは卑しいことと思っていた
私の場合は、お金は汚いものだと小さい頃から教えられていたこともあり、「お金を使いたい」「欲しいものがある」と口にするのは、いつの頃から悪いことだと思っていました。
反対に「欲しいものはない。お金なんていらない」と言うことが良いことだと思っていました。
私の場合はまずその考えを改めました。
- 「お金なんて」というのはやめる
- 「お金を使うのは良いこと」と考える
お金が人生の全てではありませんが、「お金なんて」とお金を卑下して考える必要もないと思うようにしました。
お金は使うことで「経済が回る」のですから、お金を使うことは悪いことではないと考えるようにしました。
2.自分なんかという思いがあった
私の場合は、「自分なんかにお金を使うのはもったいない」という考えがありました。
自分なんかにお金を使うより、家族のためや友達のためにお金を使った方がよいと考えることが良いことだと思っていました。
でも、そんな風に考えてしまうと、自分に価値がないと考えてしまうのと同じです。
自分にも家族にも友達にも同じくらい価値があると考えることで、自分にお金を使うことは悪いことではないと考えられるようになりました。
3.お金を使うとお金がなくなることに焦りがあった
私の場合は、「お金を使うと貯金がなくなる」という不安から「お金を使う罪悪感」を持ってしまうこともありました。
「貯金もできていないのにまたお金を使ってしまった…」という後悔があったのですね。
しかし、まずきちんと「貯金ができる仕組みを整える」ことで「これだけは使っても問題ないお金」と「使えるお金の限度額」が分かるようになりました。
お金を使うことに罪悪感はいらない
私は、お金はどのような「経験」と「感動」を得るかを「自由に選択するための道具」だと思っています。
「お金を使わない生活を送らないと幸せは得られない」わけでないし、「お金を使いたいと思うことは悪」ではないと今は考えられるようになりました。
お金を使いたい、と思う自分がいやしいわけではありません。
お金を使いたい、と思わない人がえらいわけではありません。
ここを誤解してしまうと、昔の私のようにお金を使うことにものすごい罪悪感を感じてしまうので注意してくださいね。