年金暮らしなのに貯金がゼロだった60代後半の両親について
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- 節約の経歴
ここで、もう一人貯められないズボラ主婦を紹介します。
それはずばり私の実の母です。
私の両親は60代後半で、ほぼ年金暮らしにもかかわらず貯金はゼロでした。
自分の両親の経済状況は、よく知らないのが普通かもしれません。
私もずっとそうでした。
私も弟も結婚して実家を離れていましたし、
お金のかかる子供が巣立ち、住宅ローンも終わったと聞いていたので、
なにやら高級そうなハイブリット車も新車で買ったようですし、
実家の壁紙もキレイに張り替えたりしていましたし、
夫婦2人、金銭的にはかなり楽になり自適に暮らしているんだろうと思っていました。
お金がない、と母が愚痴をこぼすことはありましたが、これは昔からの口癖の1つくらいにしか思っていませんでした。
そうは言ってもちゃんと貯めているだろう、と軽く考え、たまに実家に帰った時には
外食でご馳走してもらったり、子供服をおねだりして買ってもらったこともありました。
しかし、10年近く入院していた私の祖母が97歳で亡くなった時、信じがたい現実がつきつけられました。
親戚なども含めて30名ほどしか参列しないのに不釣合いなほどすごく立派な葬儀。
いざその支払いの段階になったら、お金がないから貸してくれ、と言い出したのです。
思い返せば、私が両親にお金を貸してくれと言われたのはその時が初めてではありませんでした。
大学生の時も、私のアルバイト代は春と冬の住宅ローンのボーナス払いのたびに毎回10万円以上貸していました。
主人の実家と折半した結婚式の費用も主人は実家の両親がキチンと払っていましたが、我が家は全額私が出しました。
貸したお金は今まで一度も返ってきたことはありません。
今回も、お金を貸しても戻ってこないのは目に見えていました。
それに独身時代とは違い今は私にも家庭があります。
返ってくるあてのないお金をそう簡単に貸すことはできません。
私は両親に、お金を貸すことは出来るけれど、まずは家中にある通帳など全てを見させてもらって、本当に足りないのか見極めてからでなければ貸せない、と言いました。
両親は全ての通帳を私に見せてくれました。
それらを見て、私はただただ呆然とするしかありませんでした。
かろうじて借金はしていませんでしたが、両親の通帳はいつもマイナスばかり。
そのマイナスを補填するように年金が入り、父の給料が入り、、という順番で、年金や給料は入ったと同時にほとんどなくなっているのです。
幸い祖母の残した年金と香典などで葬儀代の大半は賄えたのですが、49日や初盆などこれからかかる法要の費用はどう頑張ってもないという状況。
その費用だけでも貸して欲しいという両親に、ここでお金を貸しても、あなたたちがダメになるだけだ、と私はあえて突き放しました。
母は「うちはお父さんの稼ぎが悪い。お父さんのせいで生活が苦しいんだ」と言います。
父は「うちはお母さんが体の具合が悪く、家事を全くしない。母の具合が悪いせいで、
病院代もかかるし、食事は全て外食で済ませているから、食費がかかる。お母さんのせいだ」と言います。
お互いにお互いのせいにするだけで、全く話が進まない。
昔から支出に無頓着だった両親との過去がふと頭をよぎります。
父はバブル崩壊後、リストラされ、職を失いました。
その数日後、60万円のパソコンを衝動買いして帰ってきました。
それからさらに数日後、大型自動車免許を取るといって、30万円以上のローンを組んで帰ってきました。
父は職を失って1週間で100万円近く使いました。
いつもお金がない、といいながら、
車はわりと高級、
エアコンは最新型、
10万円以上するベッド、
テレビは40万円もするような大型、
母は10万円以上の財布とバッグ、
それらを組める限り最長のローンで買っていました。
月々数千円の支払いだったら、知らないうちに払い終わってるから大丈夫、という根拠のない理由でした。
私は小さい頃から、収入に対してアンバランスな支出をし、いつもあとからくる支払いの工面にあたふたする両親を見て育ちました。
やっぱり両親は昔と変わっていない。
ショックでした。
でも、両親の今までの通帳を見返し、経済状況を把握してみると、ただ無計画な支出が多いだけで、それほど贅沢はできないまでも、夫婦二人が暮らしていくには十分なだけの収入が
あることが分かり、改善できる、という確信を持ちました。
私は、結局1円も両親には貸しませんでした。
その代わり、それ以降しばらくは私がお金の流れの管理をしました。
私が管理するようになってからは、両親の通帳がマイナスになることはなくなりました。
母も頑張り、私が管理し始めてから5ヵ月で20万円ほど貯めてくれました。
もちろん、必要以上には頑張っていません。
今まで通りの生活を続けながら、「無駄な支出」を削っただけです。
今でもとても「お金がある」とは言えない状況ですが、少なくとも支出におびえる生活からは脱出できたようです。
私なりに貯められるコツをつかんでいなかった以前の私だったらこんな風に両親の助けになることも出来なかったと思います。
祖母が亡くなったのは、私が貯めるコツをつかんでから半年後。
ただの偶然ではなく、きっと天国の祖母が、お金に困り続ける両親を心配して、私を呼んだんだと思っています。
これからは両親がお金で困ることのないように見ていくからね、と祖母に手を合わせるときはいつもそう話します。
両親にとっては祖母が亡くなった日が「家計の革命日」。
ひとたび「家計の革命」が起きれば、結婚してから40年近く1円も貯められなかった私の母でさえ不思議と「貯められる」ようになるのです。
↓次の記事はこちらです。
・家計に革命を起こそう!
■私の節約の経歴(まとめ)
https://kakeibo.kosodate-info.com/archives/2012
それはずばり私の実の母です。
私の両親は60代後半で、ほぼ年金暮らしにもかかわらず貯金はゼロでした。
自分の両親の経済状況は、よく知らないのが普通かもしれません。
私もずっとそうでした。
私も弟も結婚して実家を離れていましたし、
お金のかかる子供が巣立ち、住宅ローンも終わったと聞いていたので、
なにやら高級そうなハイブリット車も新車で買ったようですし、
実家の壁紙もキレイに張り替えたりしていましたし、
夫婦2人、金銭的にはかなり楽になり自適に暮らしているんだろうと思っていました。
お金がない、と母が愚痴をこぼすことはありましたが、これは昔からの口癖の1つくらいにしか思っていませんでした。
そうは言ってもちゃんと貯めているだろう、と軽く考え、たまに実家に帰った時には
外食でご馳走してもらったり、子供服をおねだりして買ってもらったこともありました。
しかし、10年近く入院していた私の祖母が97歳で亡くなった時、信じがたい現実がつきつけられました。
親戚なども含めて30名ほどしか参列しないのに不釣合いなほどすごく立派な葬儀。
いざその支払いの段階になったら、お金がないから貸してくれ、と言い出したのです。
思い返せば、私が両親にお金を貸してくれと言われたのはその時が初めてではありませんでした。
大学生の時も、私のアルバイト代は春と冬の住宅ローンのボーナス払いのたびに毎回10万円以上貸していました。
主人の実家と折半した結婚式の費用も主人は実家の両親がキチンと払っていましたが、我が家は全額私が出しました。
貸したお金は今まで一度も返ってきたことはありません。
今回も、お金を貸しても戻ってこないのは目に見えていました。
それに独身時代とは違い今は私にも家庭があります。
返ってくるあてのないお金をそう簡単に貸すことはできません。
私は両親に、お金を貸すことは出来るけれど、まずは家中にある通帳など全てを見させてもらって、本当に足りないのか見極めてからでなければ貸せない、と言いました。
両親は全ての通帳を私に見せてくれました。
それらを見て、私はただただ呆然とするしかありませんでした。
かろうじて借金はしていませんでしたが、両親の通帳はいつもマイナスばかり。
そのマイナスを補填するように年金が入り、父の給料が入り、、という順番で、年金や給料は入ったと同時にほとんどなくなっているのです。
幸い祖母の残した年金と香典などで葬儀代の大半は賄えたのですが、49日や初盆などこれからかかる法要の費用はどう頑張ってもないという状況。
その費用だけでも貸して欲しいという両親に、ここでお金を貸しても、あなたたちがダメになるだけだ、と私はあえて突き放しました。
母は「うちはお父さんの稼ぎが悪い。お父さんのせいで生活が苦しいんだ」と言います。
父は「うちはお母さんが体の具合が悪く、家事を全くしない。母の具合が悪いせいで、
病院代もかかるし、食事は全て外食で済ませているから、食費がかかる。お母さんのせいだ」と言います。
お互いにお互いのせいにするだけで、全く話が進まない。
昔から支出に無頓着だった両親との過去がふと頭をよぎります。
父はバブル崩壊後、リストラされ、職を失いました。
その数日後、60万円のパソコンを衝動買いして帰ってきました。
それからさらに数日後、大型自動車免許を取るといって、30万円以上のローンを組んで帰ってきました。
父は職を失って1週間で100万円近く使いました。
いつもお金がない、といいながら、
車はわりと高級、
エアコンは最新型、
10万円以上するベッド、
テレビは40万円もするような大型、
母は10万円以上の財布とバッグ、
それらを組める限り最長のローンで買っていました。
月々数千円の支払いだったら、知らないうちに払い終わってるから大丈夫、という根拠のない理由でした。
私は小さい頃から、収入に対してアンバランスな支出をし、いつもあとからくる支払いの工面にあたふたする両親を見て育ちました。
やっぱり両親は昔と変わっていない。
ショックでした。
でも、両親の今までの通帳を見返し、経済状況を把握してみると、ただ無計画な支出が多いだけで、それほど贅沢はできないまでも、夫婦二人が暮らしていくには十分なだけの収入が
あることが分かり、改善できる、という確信を持ちました。
私は、結局1円も両親には貸しませんでした。
その代わり、それ以降しばらくは私がお金の流れの管理をしました。
私が管理するようになってからは、両親の通帳がマイナスになることはなくなりました。
母も頑張り、私が管理し始めてから5ヵ月で20万円ほど貯めてくれました。
もちろん、必要以上には頑張っていません。
今まで通りの生活を続けながら、「無駄な支出」を削っただけです。
今でもとても「お金がある」とは言えない状況ですが、少なくとも支出におびえる生活からは脱出できたようです。
私なりに貯められるコツをつかんでいなかった以前の私だったらこんな風に両親の助けになることも出来なかったと思います。
祖母が亡くなったのは、私が貯めるコツをつかんでから半年後。
ただの偶然ではなく、きっと天国の祖母が、お金に困り続ける両親を心配して、私を呼んだんだと思っています。
これからは両親がお金で困ることのないように見ていくからね、と祖母に手を合わせるときはいつもそう話します。
両親にとっては祖母が亡くなった日が「家計の革命日」。
ひとたび「家計の革命」が起きれば、結婚してから40年近く1円も貯められなかった私の母でさえ不思議と「貯められる」ようになるのです。
↓次の記事はこちらです。
・家計に革命を起こそう!
■私の節約の経歴(まとめ)
https://kakeibo.kosodate-info.com/archives/2012